10年の感覚

忘れているだけなのかもしれないが、18歳のときに8歳から10年たったんだ、と思わなかったからまだその時には10年という感覚を手には入れてなかったと思う。

10年という長さを初めて実感したのは20代の後半あたりだったように思う。今を起点にさかのぼって10年であるからそれ以降は毎年10年の範囲がスライドしていて、最近では12年という感覚も親しみがある。


高校を卒業してからの10年というのはめまぐるしく環境が変わる。その10年間を思い出すと8歳から18歳の10年とは違って凝縮感がある。大学の友達と多摩川でつりをしたことが昨日のことのようでもあるが、2時間かけて大学に通っていたのは本当にそんなことをしていたのか信じられないくらい遠く、まるで自分のことには思えない。近さと遠さを両方兼ね備えたこの感覚。

 

自分より年齢のが上の人を尊敬する理由の一つは、自分の知らない時間感覚を確実に知っているからである。時計でカウントされる長さではなく、その中に日常体験のありとあらゆることがつまったり抜け落ちたりしながらストックされるある時間の長さを彼らは体験上知っている。私はいま、せいぜい15年からどう拡大しても20年という感覚でしかわかっていない。「ちょっとあなた、10年を知ってる?」と問われれば「ああ、10年?10年のことならしってるわ」と、言える。しかし50年についてはそれが言えない。

 (ここで言っているのは個人の時間で社会的に共有している時間(=時代?)ではない。例えば「失われた10年」というような表現をすることがあるが、その時代を知っているかどうかではない。)

 

それで昨日思いついてメモしたことは、

あと何回10年を体験できるか、という思いつきだ。

このまとまりを私は、あの人は、あと何回体験するできるだろう。

こわいことになってきてどちらに思考をすすめればいいのかわからなくなった。